日本ウルグアイ友好親善協会、ニュースレターNo. 24

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2003年2月

南米経済状況(ベネズエラ)

第22号でお伝えしました、ベネズエラの社会状況が変わりましたので、補足として最近の政治社会情勢をお伝えします。

2月2日、2ヶ月間全国全産業を巻き込んだゼネストは終結しました。チャベス大統領は勝利宣言を発表し、支持者を前にして、「政府と人民は攻撃に転じる。今年は革命的攻勢の年である。チャベスは以前よりタフになり、強くなった。」と大声で叫びました。

ベネズエラは世界の石油の産出量の約4%を占め、石油輸出量世界第5位の国であり、1980年代までは、南米では一番豊かな国でした。1990年代に入って、石油の原油輸出市場は価格が下がり、経済危機が起こり、一時多くの銀行が倒産しました。インフレが進み、景気は低迷し、失業者が増え、貧困層が増加しました。1998年の総選挙でチャベス大統領が当選し、憲法を改正し、大統領権限を強化し、大統領の任期を6年とし、国会を一院制にしました。2000年7月に大統領選挙を行い、再選されました。2000年に高騰した原油価格のおかげで、国民総生産額、経済成長率は上がったけれども、適切な経済政策を打ち出す事ができず、農業、製造業を活性化できず、2001年にはインフレは高進し、通貨ボリバルは下落し、国民の不満が高まりました。その結果、支持率は30%に下がり、国民の貧困層のみが支持するという状況になりました。それで、2001年12月、石油事業法(石油事業の増税)、土地法(農地接収、国有化)、漁業法(沿岸土地接収、国有化)を制定しました。これに反対して経済団体、労働組合のストライキが行われました。2002年4月には軍人によるクーデターも行われましたが、これは失敗しました。

2002年12月には油田労働者まで巻き込んで全国的ゼネストが行われ、9月時点で、日量300万バーレル生産していた原油は、2003年1月には、40万バーレルまで減りました。しかし、石油生産国として、国の経済的蓄積は大きく、他国からの借入金に頼らない経済運営のできる国ですから、ゼネストで製造業のほとんどがストップしても、国家運営への致命的な打撃は与える事ができず、かえって国民の社会生活への打撃が大きく、物価が上がり、ガソリンが買えなくなると、ゼネストの指導層への不満が高まりました。

ゼネストは2ヶ月でストップし、大統領罷免の国民投票を求めて、署名活動に方針転換しました。1週間で400万人の署名が集まったということですが、大統領は辞任する意向は全くないと言っています。次回大統領選挙は2006年7月です。

チャベス大統領は、1月21日通貨ボリバルが1ドル=1853ボリバルに下がって、外国為替取引を停止しました。(2002年2月、1ドル=1038ボリバル) 2月6日、変動相場制から、固定相場制に変更し、1ドル=1600ボリバルとして、再開しました。しかし、「ゼネストに参加したものには、1ドルも渡さない」と言っています。輸出企業の得たドルは、すべて中央銀行が管理します。即ち、輸出企業は強制的に、得たドルを中央銀行に売らなければなりません。又、チャベス大統領が、カストロのような革命を行うと言っている事で、石油関連事業、通信関連事業に投資した外国企業は、すべての資産は没収されて、事業は国有化されるのではないかと恐れています。