日本ウルグアイ友好親善協会、ニュースレターNo. 21

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2002年8

対岸の大火事

ウルグアイの国家収入の半分は、夏の観光シーズンにウルグアイへやっている海外からの観光客が落としていく観光収益です。その最も重要な都市が、プンタ・デル・エステという町です。

この町はちょうど半島になっていて、地理学的にラプラタ川の河口にあたり、半島の半分は川側、反対の半分は大西洋という具合になっており、川と海の二面性を持った観光地として毎年この時期になると観光客でにぎわいます。

どれほどのにぎわいかと言えば、町の人口がシーズンオフの約10倍に膨れ上がるそうです。言い換えれば、シーズンオフにはほとんどゴーストタウンのようになっていると言うことです。

そして、その観光客の80%以上がアルゼンチン人です。ここに来るアルゼンチン人の多くは、この町に個人所有のコンドミニアムか別荘を持っており、夏のバケーションの期間そこで生活するわけです。持っていない人でも、ホテルではなくコンドミニアムや別荘をレンタルして長期間滞在型の休暇を楽しみます。

しかし今年は様子が違いました。観光客が例年の半分ほどしかウルグアイに来ていませんでした。

それもそのはず、対岸のアルゼンチンは経済危機に陥り、自分の貯金ですら満足に引き出せない状況ですから、大半のアルゼンチン人は、ウルグアイへ休暇を楽しみに来るどころでは無いのです。このようにアルゼンチン人観光客に依存していたウルグアイの観光体勢はここに来て初めてその危険性に気づきました。

今まで対岸の火事として見ていたアルゼンチンの経済危機ですが、観光客の激減によって隣国の経済危機がどれほど危険であるのか気づき始めていました。

今回のアルゼンチンの経済破綻の責任は、腐敗堕落した全アルゼンチン政治家にあるという世論がありました。そして、ウルグアイの政治家はどうか? と問いただして見れば、国民から見た政治家は同じように写るようで、政治不安が広がり。その証拠として、六月・七月には銀行から毎日何百万ドルという金額が引き出され、各銀行はその準備金のやりくりに走り回っていました。

そして、その結果は皆様もご存知の通り銀行を一時閉鎖し、預金を一時凍結することになりました。そして、日本でも報道があったように一部でスーパーを襲撃する事件が起こりましたが、アルゼンチンと違い、ウルグアイでは警察が一般市民を身体を張って守り、全ての暴動を鎮圧しました。

暴動自体を分析すると、非常に組織された同時多発テロと見ることができました。暴動に参加した人たちはごく一部の貧困地域の住民であり、暴動自体は預金凍結とは因果関係はなく、貯金凍結という事件を利用しただけであったようです。とくに、数ヶ月前にアルゼンチンで行われた暴動をテレビで毎日繰り返し見せられていたので、国民世論が暴動に賛同すると計算して行われたようです。

結果は、暴動は失敗に終わり、国民の大多数は、暴動を同時多発テロと認識し、そのような野蛮かつ卑劣な行為に対して非常に厳しい態度を示しました。さらに地域の警察とより強力な協力体制を築くようになりました。特に特筆すべき点は、暴動の直後に、それぞれの地域において、住民が主体となり治安維持のための組織作りを警察と協力して作ったということです。

その後すぐに、海外資本の銀行が通常業務を再開し、国営の銀行もIMFや米国からの援助を得て業務を再開したので多くの国民が平常どおりの生活を送れるようになりました。

国内銘柄の銀行についてはいまだに非常に難しい状態が続いていますが、高額預金者たちと銀行が話し合いを続けて、どのようにしてこの危機を乗り切るか模索しています。いろいろな場面で不都合がありますが、非常に平穏な日々です。