日本ウルグアイ友好親善協会・ウルグアイ事務局提供

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・・ウルグアイの政治制度・・

1) 立法

国会は上下両院からなり、上院は任期5年の30名の議員と副大統領で構成され、副大統領は上院議長、上下院合同会議議長をも兼ねる。

上院議員の被選挙権は、30歳以上のウルグアイ生まれの人、または帰化後7年以上のウルグアイ人に与えられる。

下院は任期5年の99名の議員で構成され、被選挙権は25歳以上のウルグアイ生まれの人、または帰化後5年以上のウルグアイ人と定められている。

上院議員、下院議員共、再選可能。

上下両院議員とも大統領の選挙と同時に名簿比例代表制で選出される。

大統領候補は自分の党の上院議員と下院議員の候補者名簿を順位を付けて提出する。選挙人はその名簿を見て大統領に投票する。一番多くの投票を受けた党の候補者が大統領となる。

各党に投票された数で上院議員、下院議員の候補者に当選数を割り当てる。

上院議員は全国区、下院議員は地方区(19県)。

選挙権は18歳以上のウルグアイ人男女に与えられている。なお、婦人参政権は1932年以来認められている。下院議長は毎年交代することになっている。


2) 政党

コロラド党(Partido Colorado、通称、赤党)と、国民党(ナショナル党)Partido National、通称、ナショナル党、白党)は独立後まもなく結成された歴史的な二大政党である。

歴史的に、コロラド党はモンテビデオを支持基盤とする自由主義派(中道保守)、国民党(ナショナル党)は地方都市を支持基盤とする保守派とされていた。

国民党は1989年の選挙で23年ぶりに政権復帰をはたした。それまではコロラド党が大統領と国会の与党を占めていた。

1971年コロラド党左派が中心となって左派政党拡大戦線(フレンテ アンプリオ Frente Amprio)が結成され、これによりコロラド党本体は中道化し、コロラド党とブロンコ党の実際の政治理念の違いはほとんどなく、両者とも保守政党としての路線を取っている。

89年の総選挙で拡大戦線が首都モンテビデオで過半数を取り、県知事はフレンテ アンプリオ党となった。フレンテ アンプリオは、首都モンテビデオで支持基盤を広げ、地方でも勢力は拡大している。コロラド党は、モンテビデオでの支持基盤を挽回し、地方でも支持率上昇を目指している。国民党は、モンテビデオでの支持率を減少させ、地方都市での支持基盤は確保している。

200031日ウルグアイ大統領就任式があり、ホルヘ バジェ大統領が就任した。ホルヘ バジェの父親は、第二次世界大戦直後に大統領となった、ルイス バジェ大統領であり、その兄(ホルヘ バジェの伯父)は1903年に大統領となり12年間の施政で、社会福祉政策を進め、ウルグアイの民主主義の基盤を作ったと言われる、ホゼ バジェ オルドニュス大統領である。

19991128日の大統領選挙決戦投票では、ホルへ バジェが114万票52%を獲得して勝利した。

エンクエントロ プログレシスタ党のタバレ バスケスは97万票44%を獲得した。バスケスはモンテビデオの前市長。今回の大統領選挙では、フレンテ アンプリオの名前は使わず、エンクエントロ プログレシスタ(進歩主義の会)の名前で、選挙戦を戦った。

それに先立って19991031日に行われた大統領選挙で、エンクエントロ プログレシスタ党のタバレ バスケスが86万票(38%)で第1位、コロラド党のホルヘ バジェが70万票(31%)で第2位、ナショナル党のルイス ラカジェが48万票(21%)で第3位、ヌエボ エスパシオ(新しい空間―共産党)のラファエル ミッチェリーニが10万票(4%)で第4位となり、過半数を獲得した候補者がいなかったので、決戦投票に持ち込まれた。

今回の大統領選挙での大きな特長は、エンクエントロ プログレシスタ党(フレンテ アンプリオ、左翼拡大戦線)の得票数の伸びが著しかったことだった。

軍事政権から民主政権に移行した最初の選挙であった1984年の大統領選挙では、フレンテ アンプリオは得票率は21%であったが、今回は38%に伸びた。ナショナル党は、1984年の得票率35%から、今回は21%に減少した。コロラド党も、1984年には41%であったものが、31%に減少した。

 


1997年時点での、国会の上院議員の勢力。

コロラド党: 10人 拡大戦線: 9人
ヌエボ・エスパシオ: 1人  
ナショナル党: 10人 合計 : 30人

 

2001年現在、国会の上院議員の勢力:

コロラド党: 10人 エンクエントロ・プログレシスタ(拡大戦線): 9人
ヌエボ・エスパシオ: 1人  
ナショナル党: 7人 合計 : 30人

 

1997年時点での、国会の下院議員の勢力。

コロラド党: 32人 拡大戦線: 31人
左派エスパシオ: 5人

 

ブロンコ党: 31人 合計 : 99人

 

2001年現在、国会の下院議員の勢力:

コロラド党: 32人 エンクエントロ・プログレシスタ(拡大戦線): 40人
ヌエボ・エスパシオ: 4人  
ナショナル党: 23人 合計 : 99人

 

2001年現在、県知事の勢力:

コロラド党: 5人 エンクエントロ・プログレシスタ(拡大戦線): 1人
ヌエボ・エスパシオ: 0人  
ナショナル党: 13人 合計 : 19人



3) 政治情勢

1989年の大統領選挙では国民党(ブロンコ党)の保守中道路線のラカジェ候補が大統領に選出された。しかし、同時に行われた国会議員選挙では、国民党は上下両院共、過半数を制することは出来なかった。そして、同時に行われた県知事選挙では、首都モンテビデオで、社会主義の左派拡大戦線の候補が県知事に選出された。大統領選挙でのコロラド党の敗因は、インフレの昂進、官公庁、教職員、港湾労働者、等のストライキ頻発による経済状態の沈滞低下が主な原因と言われている。
ラカジェ政権は財政赤字削減、インフレ抑制、国営企業の民営化、社会保障制度改革に取り組んだ。そのため、増税と緊縮財政政策を実施した。


その結果、インフレ率は大幅に改善し、130% から50%まで下がった。民営化では、電話公社、配電公社、水道公社、石油公社、港湾荷役、保険会社、航空会社などの民営化に取り組み、1991年、民営化法を国会で成立させた。しかし1992年、左派拡大戦線の提案による、国民投票によって一部廃棄させられ、民営化は後退を余儀なくさせられた。社会保障制度改革案は何度も国会に上程されたが、野党の反対に会って成立を見なかった。


1994年の大統領選挙では、サンギネッティ前大統領が再選を果たした。第二次サンギネッティ政権においては、経済政策は、メルコスール共同市場の推進と他の南米諸国への勧誘、輸出産業の振興、国営企業の民営化はしない代わりに、国営企業と同じ業種に民間企業の自由な参入を許可し、特に無線電話の販売自由、郵便事業にも民間業者の参入を許可し、企業経営に関する規制緩和と許認可の早急な書類審査と簡素化に取り組んでいる。


政治政策においては、社会保障制度の改革、これは国家財政の健全化のために緊急の課題で、改革案を国会に上程している。教育制度の改革、選挙制度の改革にも取り組んでいる。


4) 行政

行政府の長は大統領(元首)。

国民の直接選挙で選ばれ、任期は5年、連続再選禁止。

中央政府の省庁は、14の省庁から構成されており、閣僚は大統領により任命される。


5) 地方制度

地方は19県に分かれている。各県に県知事と県議会議員が、大統領、国会議員選挙と同じ時5年に1回の選挙で選ばれる。

県議会は31議席で県知事の選挙と同時に比例代表制で選ばれる。

県知事候補の提出した名簿順位に従って各党の獲得投票数に比例して県議会議員は選出される。

モンテビデオ県は特殊な県で30の地域に分かれている。


6) 外交

1986年9月 ウルグアイのプンタデルエステにおいて、GATT(関税貿易一般協定)の閣僚会議が開催され、ウルグアイラウンド(新多角的貿易交渉)の妥結、成立に、サンギネッティ大統領を中心とするウルグアイ政府経済官僚が大きく貢献した。

1991年3月 メルコスール(南米共同市場)条約締結。パラグアイのアスンシオンで、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイの四カ国がこの条約に締結したので、この最初のメルコスール条約をアスンシオン条約”とも呼んでいる。1994年 対外共通関税、原産地規則、域内関税撤廃、の例外品目合意締結。1995年1月メルコスール条約発効。1997年チリ、ボリビアが準加盟国となりベネズエラがメルコスールに参加を希望している。北米自由共同市場 (NAFTA) とも連絡会議を持っていて、南北米自由共同市場の設立のための会議が南北米34か国(キューバを除く全国家)の経済閣僚を集めて行われている。

日本とウルグアイとの関係は、1989年より毎年、年一回交互に経済交流使節団を派遣し合っている。



7) 政策の推移

1999年の大統領選挙では、ホルへ バジェ大統領が選出された。

19981月のブラジル経済危機の影響で、アルゼンチン経済は大打撃を受け、1999年、2000年と不景気が続いている。ウルグアイはアルゼンチン経済圏の一地方都市のような関係にあるので、ウルグアイもここ2年間は不景気が続いている。メルコスールの自由共同市場構想はブラジルとアルゼンチンの間で貿易摩擦が起こり、域内関税撤廃などの具体的政策が棚上げになっている。メルコスール内での共通通貨構想も進んでいない。むしろ、中米エルサルバドルで200111日からドル化政策が始まった。ドルと自国通貨コロンを同時に流通させる制度で、外国からの投資が安心してできるので、外国企業の誘致がしやすくなる。ウルグアイのバジェ大統領も外国企業の誘致に力を入れているので、アルゼンチンと共にドル化政策への方向に進むのではないかと言われている。

1994年の大統領選挙では、サンギネッティ前大統領が再選を果たした。

第二次サンギネッティ政権においては、経済政策は、メルコスール共同市場の推進と他の南米諸国への勧誘、輸出産業の振興、国営企業の民営化はしない代わりに、国営企業と同じ業種に民間企業の自由な参入を許可し、特に無線電話の販売自由、郵便事業にも民間業者の参入を許可し、企業経営に関する規制緩和と許認可の早急な書類審査と簡素化に取り組んできた。政治政策においては、社会保障制度の改革、教育制度の改革、選挙制度の改革にも取り組んだ。

1989年の大統領選挙では国民党(ナショナル党)の保守中道路線のラカジェ候補が大統領に選出された。。大統領選挙でのコロラド党の敗因は、インフレの昂進、官公庁、教職員、港湾労働者、等のストライキ頻発による経済状態の沈滞低下が主な原因と言われている。ラカジェ政権は財政赤字削減、インフレ抑制、国営企業の民営化、社会保障制度改革に取り組んだ。そのため、増税と緊縮財政政策を実施した。その結果、インフレ率は大幅に改善し、130 から50%まで下がった。民営化では、電話公社、配電公社、水道公社、石油公社、港湾荷役、保険会社、航空会社などの民営化に取り組み、1991年、民営化法を国会で成立させた。しかし1992年、フレンテ アンプリオ党の提案による、国民投票によって一部廃棄させられ、民営化は後退を余儀なくさせられた。社会保障制度改革案は何度も国会に上程されたが、野党の反対に会って成立を見なかった。


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©杉山孝、日本ウルグアイ友好親善協会

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