日本ウルグアイ友好親善協会提供

世界遺産

コロニア・デル・サクラメント

 

ここコロニア・デル・サクラメントはUNESCOにより1995年12月6日、世界遺産に登録されています。
1680年に当時リオ・デ・ジャネイロの総督であったManuel Lobo指令の下、ラ・プラタ川防衛の戦略地点として開拓されました。

スペインは100年に渡り、この町の攻防戦を繰り返し、その戦いの傷跡がこの半島の歴史を作り上げてきました。

その結果、現在、この町の中に二つの異なった文化の足跡を発見することができます。

 

たとえば、スペイン様式の石畳の舗装とポルトガル様式の石畳の舗装が同じ町の中に共存しているのです。

道の真ん中を雨水が流れるように低くなっているのがポルトガル様式の石畳であり、両端を雨水が流れるようになっているのがスペイン様式の石畳です。

この左の写真の門は、1745年にポルトガル占領下に建造されました。当時、コロニア・デル・サクラメントの周りには城壁が張り巡らされ、この門には木製の跳ね上げ式の橋がついてあり、文字通りこの門が唯一の通り道でした。

左の写真は1857年に建設された灯台です。620キャンドルパワーの明かりをアセチレンガスを燃やしてともしています。

手前に見える瓦礫は1683年に建造された聖フランシスコ・ザビエル修道院跡です。

1704年に火災により焼け落ちました。

その外壁の厚さは90センチもあり、その壁を利用する形で灯台がたっています。

修道院の周りは墓地として利用されていたようで、発掘調査によって多くの骸骨が発見されました。

タイル博物館の外にあるタイルで作った町の地図です。

博物館には1840年に作られたタイルなどが展示されています。

コロニア・デル・サクラメントの観光地図です。

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この写真はオマケ。

首都モンテビデオとコロニアの中間よりややコロニアよりにスイス村があります。

ここはウルグアイでも珍しいスイス人入植者が多く集まった町でその名残で酪農産業がシンボルです。

この町にチーズフォンデゥを食べさせてくれるレストランがあります。

      

 

 


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